ゆとりのある風景と記号の圧(縮)力

1990年生まれ。いわゆるゆとり世代と呼ばれるのだが、まあ先天的な性格上、確かに「ゆとり」と呼ばれても否定できない

というかむしろ納得してしまうような節がある。極楽とんぼだもんね~なんて親戚にはよく言われていたので、言われてもそこまで気にしない*

 

 

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

 

 

しかし!ゆとりと呼ばれて「うんうん」と思う局面と、そうでない時があることを

もっと考えてもらいたいなあ、と時々思う。例えば

 

議論することも一通りなくなり、今日できることはやりつくしたのに周りがなかなか帰らない時、まっさきに書類をしまったわたくしに対して

 

「ゆとりだなあ~笑」

 

⇒ええやん別に!風邪ひきたくないし、そもそもみんな熟考するわけでもなくむしろ閉口しているなら。わたくしもPC閉じて身支度始めたってええじゃんか!帰って有機的なことして明日元気に出社するわ!(そして自分なりに「もう議論することはないよな」と、何度か見直した上での「お片付け」だった)

 

まあもちろん周りもわたくしの性格をくみ取った上で「ゆとりだな~」と口に出している(と信じている)のだが

正直「はぁ・・・」へこむときがある。

 

 

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

 

なんでへこむのだろう。

 

まあ、冒頭にも書いたように、TBTのへらへらした性格上間違いではないし、このシーンだって、説明されなくても「一人余裕を持ちすぎて周りと合わせられていない」のは分かる。

そして「周りと合わせられていない」、つまり協調性がない、ことについていえば、「そんなの古き良き日本のしきたりに過ぎない」「そんなのに囚われている会社なんてこの先伸びない」とかそういう議論に発展するのはよくわかるの、だが、

別に気になったのはそこではない。その点についてはもともと文化なんて良し悪しどちらにも見える可能性があるのだから、自分が違うと思ったことはどんどんがんがんにぶち壊していけばいいやと行動しているので…今回も別に間違った行動をしたとは思っていないし、それだけで「ゆとり」⇒へこむ にはつながらなった。

 

じゃあ、なんで「ゆとり」って言われてへこむ時があるのだろうか

 

 

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

 

 

今のところ自分の中で落とし込めた答えは、

ゆとりが、便利な言葉 だから

である

 

 

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

 

 

結果として ゆとってる から 仕方ないのかもしれない。けれども、一発で、捨て台詞のように、言ってもなんも生み出さない 「ゆとりだね」 で締めくくってしまう。しかもそれがネガティブな言葉で、非常に便利に使われてしまう。

さらにそのたった一つ単語で、先ほど上げたような、「この場合QOLを高めるためにさっさと帰って翌朝フレッシュな頭で再考した方が生産的だろう」とか、「言い出しにくい人だっているから年功序列関係なくだれかが一石を投じた、というだけで別にいいじゃん」とか、そういった考えの伸びしろが消失する。

そしてそれが、本来わたくしの性格上の社会性の弱さ、に結論付けられても良かったはずなのに、なぜか「時代」のせいというか、ネイチャーというか、そういう大きな力のせいにされてしまっていて、なんか誰もどうしようもできない、みたいにされている。

 

その場面の舞台裏を紐解く作業とか、起きちゃったことを有機的にしていく力とか思考が

たったひとことで、ただの言葉という記号で、ぎゅーっと圧縮されてポイ、されてしまうのだ

思考停止の魔法の呪文である。

 

 

結果としてそのシーンは「ゆとりのある風景」には確かに仕上がっているから、「ゆとりだね」というのはまっとうな感想なのかもしれないけど

ゆとりのある風景 の裏には、圧縮されてしまったゆとり娘なりの思考とか、そもそもゆとりという言葉を使った人が常識/当たり前だと考えているルール(しかもそれは結局個人の経験則でしかない)がとんでもない引力を保ったまま隠され、世界を支配して

「ゆとり」という静物がちょこんと、その影を落としているのだ

 

 

うっわ、虚しい。

 

 

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

 

 

ここまで訳も分からん速さで書き殴ってきていよいよ明らかになってくるのは、

「ゆとりだね」と言われて額縁の中に取り残されると、悲しい、という事実だ。

 

今の時代に生まれた画期的な流行語でありアイコンであり、人によってはIDなのかもしれないけど、

「ゆとり」とか、そうだな話を変えれば、それこそ「彼、まあイケメンだよね**」とか「女子力あるね!」とか、あ、あとあれだ。「変人だよね」とか…

そういった記号を安易に使うようでは、基本的にだれも幸せにならん。便利だからついつい使っちゃうし、使うと「目立っていい」こともあるけど…***

 

結局は自分の言葉で考える力がなくなるし、きれいなものがどうして自分にはきれいだと思えたのか感じられなくなるし、それを他の人に共有することもできなくなるし、もしかしたら人に直してほしい悪いところがあったとしても、簡単でもいいから指摘すればいいだけのに、そういうのが億劫になってしまう。

 

わたくしだって理由があって動いているのだから、その指摘に反論するくらいの論理は武装してるわけだし。かかってこいや~。

 

形容詞はシンプルな方が伝わるのかもしれないし、時には必要だけど

あまりに便利な言葉で片付けられると、虚しいね、という話

 

 

〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

 

 

 

でもまあ、思い返してみれば、ゆとりだわ。笑

一言、「もう議論すること、ないですよね?」と聞いてから片づけた方がかっこいいし、気持ち良いから

もうちょっと大人になろ~~~っと

一言の記号で片付けられない人でありたいね~~~

 

 

ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

TBT

 

 

*正確には、このブログにこんな手記をとどめてしまうほどには気にしているが、いつの間にか別のことを考え始めてしまうので、結果的に気にならなくなる

**尊敬してやまない友人のブログの好きな記事「イケメンにはなりたくないし、かわいい女の子にも興味がない。」

***権利が不当に踏みにじられてしまっている集団とか現象が堂々と旗を掲げるには、時にはアイコンが有効だし、その記号とか言葉がポジティブな思考を広げていけられるならそれはとてもいいことだと思う

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投稿者: TBT

ロンドン生まれ東京育ち ドメスティック企業でできるだけイレギュラーにサラリーマンをしながら、世の中の「あたりまえ」を変えるプロジェクトを模索中。 いつか東洋医学の世界に触れて、常識/科学だけではなく、自分の感性で身体を労われる人を増やしたい、なんてことも考えている。 趣味は音楽。これだけは3歳の時から続いている。エレキベース・打楽器・ピアノを弾き、ファンク・ジャズ・ポストロック・プログレッシブロックを好むが、(尖っていた学生時代から改心し)聴く音楽すべての良さを知っていこうという心持ちである。 大沢野鳥の会/Osawa BirdwatcherzというFunk Ambientバンドで、打楽器を叩いたりピアノを弾いたりしている。https://www.facebook.com/OsawaBirdwatcherz/

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